鳥取城下町は堀の内側? 初の戦国末期遺構、確認

中ノ御門表門の礎石の下から見つかったおけ。共同便所の便槽とみられ、戦国時代末期の城下町が堀の内側にあった可能性が高まった=鳥取市東町2丁目、鳥取城跡
 鳥取城跡(鳥取市東町2丁目)の玄関口に当たる中ノ御門表門の礎石の下から、焼けたおけが見つかった。発掘調査した鳥取市教育委員会によると、表門建築以前の戦国末期で羽柴秀吉の第1次鳥取城攻め(1580年)か、亀井茲矩(これのり)の鳥取城攻め(1600年)の城下町焼き打ちの際に焼けたとみられる。町屋か侍屋敷の共同便所の便槽と考えられ、当時、城下町が堀の内側にあった可能性が高まった。

 市教委によると、表門復元に伴う発掘調査で、残っていた礎石をどけたところ見つかった。おけは地中に埋めてあり、上部が焼けていて直径160センチ、深さ80センチ。中の堆積物からウリや柿の種、尻を拭くへらとみられる木片が見つかり、市教委は便槽の可能性があるとみて、詳しく分析する。

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2020年5月27日 無断転載禁止