家庭菜園から学ぶ

 庭の一角やプランターで育てた野菜は不(ふ)揃(ぞろ)いになることが多い。素人の悲しさだ。初夏に実ったイチゴは粒の大きさがまちまちで、味もいまひとつ。家人が手間をかけてジャムにした。先日の台風で気をもんだキュウリやゴーヤーは曲がったものが交じる。それでも、自分が育てた野菜には愛着がある。「切って食べれば同じ」と食卓に載せる▼ところが、スーパーで買うときには、値段に大差がない限り量産された「規格品」を選ぶ。真っすぐなキュウリや、形が整っていて色のいいトマトなどだ。長年の習慣で、規格品の方が間違いないという意識になっているのだろう▼こうした規格品志向が、物だけでなく、人間を見る目や教育にも影響していないか気になる。効率よく量産することに懸命だった右肩上がりの時代は、画一的な規格品が評価され、規格外の品物や人は、ふるいにかけて除かれた。優秀な人材を選ぶ裾野も広かった▼しかし、人口減少が進む時代になれば、そうはいかないだろう。発想の転換が必要だ。これまでなら規格外に映る多様な個性と向き合い、個々の能力や可能性を引き出し、伸ばしていけないか▼経験上、野菜作りでは手間を惜しむと規格外になりやすい。ただ規格外に見えても、下ごしらえや料理に一手間をかければ、十分おいしく食べられる。たかが家庭菜園での失敗体験だが、そこから教わるヒントもある。(己)

2019年8月19日 無断転載禁止