名園と名画が調和する足立美術館創設 足立 全康(安来市生まれ)

横山大観(よこやまたいかん)の絵収集と作庭に情熱

 足(あ)立(だち)全(ぜん)康(こう)(1899~1990年)は、心を奪(うば)われた日本画の大家・横山(よこやま)大観(たいかん)の一大コレクションを中心に、約5万坪(つぼ)の美しい日本庭園を配した足立美術館(びじゅつかん)を創設(そうせつ)しました。

 安(やす)来(ぎ)市古川(ふるかわ)町に立つ美術館の庭園の一角で、小(こ)作(さく)農家の長男として生まれました。

 1910(明治43)年、市内のお寺の庭園を見て感激(かんげき)し、庭造(づく)りへの興(きょう)味(み)が芽(め)生(ば)えます。小学校を卒業すると、二輪車に荷物を載(の)せて運ぶ車引きで商売の第一歩を踏(ふ)みだします。地元と大阪を行き来しながら米の仲買(なかがい)、露(ろ)天(てん)商(しょう)、刀(とう)剣(けん)製造(せいぞう)など30を超(こ)す業種の仕事に携(たずさ)わりました。努力と辛抱(しんぼう)をモットーに「人の5倍も10倍も働いた」といいます。

 1947(昭和22)年ごろ、大阪の心斎橋(しんさいばし)通りで、骨(こっ)董(とう)屋(や)さんに掛(か)かっていた掛(か)け軸(じく)が目に入りました。横山大観の「蓬■(草カンムリに来の旧字体)山(ほうらいさん)」で、大観との初めての出合いでした。

 とても買える値(ね)段(だん)ではなかったけれども、「何ともいえない荘厳(そうごん)な気持ちになる」生まれて初めての体験をしました。そのとき、「いつか必ず大観の絵を買ってやるぞ」と心に決めた、といいます。

 子どものころ勉強は苦(にが)手(て)で、唯一(ゆいいつ)好きだったのが図画でした。

 1957(昭和32)年ごろ、「杜鵑(ほととぎす)」という掛け軸を初めて購(こう)入(にゅう)。その後、大観の作品を買い集めていきます。そのほかに、日本画では竹内(たけうち)栖鳳(せいほう)や川合(かわい)玉(ぎょく)堂(どう)、上(うえ)村(むら)松(しょう)園(えん)ら、陶(とう)芸(げい)では河(かわ)井(い)寛(かん)次(じ)郎(ろう)(安来市出身)、北(きた)大(おお)路(じ)魯(ろ)山(さん)人(じん)ら、日本を代表する作家たちの作品を購入しました。

 美術品が増(ふ)えるにつれ、多くの人に見てほしいと考えるようになり、古里に美術館を建てたいとの思いが募(つの)りました。「庭園もまた一幅(いっぷく)の絵(かい)画(が)」との信念で世界に誇(ほこ)れる美術館造りに後半生(こうはんせい)を捧(ささ)げます。

 1970(昭和45)年11月、足立美術館が開館しました。以来、作庭にも心を砕(くだ)き、横山大観特別展(てん)示(じ)館(かん)をはじめ増(ぞう)築(ちく)を重ねていきます。

 2003(平成15)年にはアメリカの日本庭園専(せん)門(もん)誌(し)が日本庭園ランキングを発表し、400近い名園の中から足立美術館を1位に選出。「細部にまで維(い)持(じ)管理された造園の大傑作(だいけっさく)」と最大級の賛(さん)辞(じ)を送りました。候(こう)補(ほ)地(ち)の数は900以上に増えましたが、現(げん)在(ざい)まで16年連続庭園日本一を守っています。来年は開館50周年を迎(むか)えます。

 青少年育成を大切にしており毎週土曜日、小中高生は無料鑑賞(かんしょう)できます。

2019年7月24日 無断転載禁止

こども新聞