松江に炭鉱があった

 松江城の南側にある洞窟の謎解明が進んだ。松江市の調査で戦時中の防空壕(ぼうくうごう)跡と確認された。明治期の石炭坑道を転用した可能性があるという。本社の社史に「明治24年2月 松江城山で石炭採掘始まる」とあり、以前から場所が気になっていた。51年前に出た『島根の百年』(NHK松江放送局)にも松江城裏の炭鉱の話が載っている▼また聞きで確証はなかったが、実は、松江城裏の場所は通称・椿谷(つばきだに)の「電気発祥之地」の碑に近い斜面に残る二つの洞窟があやしいと思っていた。今はふさがれたが昔、コウモリを探しに入ると奥でつながっていた記憶がある▼ここからは推理になる。明治28年に椿谷にできた「松江電燈会社」は石炭を燃料にした火力発電だった。燃料を運ぶ手間が省ける所に造ったと考えられる。周辺にも褐炭の層があり、大正末に発行された『八束郡誌』によると、法吉、生馬、竹矢、津田の各村で一時、盛んに採掘され、蒸気船や製糸工場の燃料に使われたらしい▼20年近く前にも農道トンネル工事で坑道の跡が見つかっている。さらに戦前から戦後しばらくは全国で小規模炭鉱が採掘され、「松江炭田」の呼称もあった旧竹矢村の「矢田炭鉱」や、旧生馬村の「福松炭鉱」の名は今も語り継がれているようだ▼今では残る資料は少ない。郷土の近代化や戦後復興の営みの記録と記憶が、坑道と共に埋もれてしまうのは寂しい。(己)

2019年6月8日 無断転載禁止