平成回顧(政治)/「議論」を取り戻したい

 リクルート事件が政界を揺るがす中で平成が幕を開けた。それから30年。衆院への小選挙区制導入や政党助成制度の創設などの「政治改革」によって、この国の政治の風景は一変した。長期政権を謳歌(おうか)してきた自民党が2回下野したのも、平成史に刻まれるだろう。

 ロッキード事件に続き国民の不信が頂点に達した政治とカネにまつわる腐敗への反省から取り組んだ改革。現行制度の元になった第8次選挙制度審議会の答申は「政策、政党本位」に加え「政権交代の可能性を高める」ことを掲げて選挙制度の変更に主眼が置かれた。

 小選挙区制を取り入れることで、自民党に対抗して政権を担い得る勢力を育て、失敗すれば政権を失う状況をつくり出し、政治に緊張感をもたらそうとしたのである。その結果、2009年に旧民主党政権が誕生した。

 ただ、その政治改革によって、候補者の公認、カネの配分、人事などの権力が党執行部に集中した点を見逃してはならない。政治主導の掛け声の下、首相官邸中心に意思決定が行われ、霞が関官僚の人事も官邸が差配する仕組みが確立した。

 権力闘争の主役で、党の活力の源泉でもあった自民党の派閥は、権限を奪われ溶解。個々の議員は、派閥よりも党執行部への”忠誠心”が求められ、強いリーダーになびく「○○チルドレン」と呼ばれる議員が次々と登場したのも平成の政治の特徴だろう。

 それでも、選挙結果が極端に振れる特性を持つ小選挙区制では、党首のイメージが当落に直結することから、短期間の首相交代も頻繁に起きた。だが圧倒的な世論の期待を背負った民主党政権が、稚拙さや内紛で大失態を演じ、その反動が、安倍晋三首相による長期政権につながった。

 党の外から脅かす”敵”が一気に弱体化したことから、党の内でもライバルの存在の必要性が薄まり、1強体制が構築されたと言えよう。緊張関係の喪失である。

 道路整備を巡る忖度(そんたく)発言で国土交通副大臣が辞任に追い込まれたのは特異な現象ではあるまい。自民党は1強に従順な「もの言わぬ集団」と化し、人事を握られた官僚にも忖度の空気が渦巻く。

 森友、加計両学園問題や自衛隊の日報隠蔽(いんぺい)、統計不正など、長期政権のおごりとも呼ぶべき事態が相次いで発覚しても自浄作用が働かない。野党の非力さも要因だが、政治の責任に頬かむりするモラルハザードがまかり通る。

 30年の間に、衆院と参院の多数派が異なる「ねじれ国会」が生まれた。「決められない政治」とやゆされながら必要に迫られたためとはいえ与野党が向き合った。しかし1強下の国会は異論に耳を貸さず、疑問点をただす野党の質問もはぐらかし、数の力で押し切る手法が常態化する。言論の府から熟議が消え、行政府を監視する役割を担う国会は、政権の下請け機関と評されるほど劣化した。

 平成の政治改革は、システム的には完成したかもしれないが、国民的な合意を形成する目的に向け、真に機能しているのか。国際情勢の激変、少子高齢化と人口減少に直面する今、政治家はもちろん、私たちも常に自問自答すべきだ。政治に「議論」と「緊張」を取り戻したい。

2019年4月19日 無断転載禁止